Masuk第62話 娘の妹が生まれれば、十五パーセントの株は半分になります
冬真の二人の娘が、互いを相続人として守るように作られていたという言葉を聞いても、私はすぐには、それを美しい仕組みだと思えなかった。二人のうち一人は保育器の中で心臓を機械に助けられ、もう一人は凍結槽の中で、本人の意思も知らないまま出生する可能性を法律と研究者に数えられている。そこへ姉妹という温かな呼び名をかぶせれば、冬真がしたことまで、死後に娘たちを思いやった父親の善意へ変わってしまいそうだった。
「確認させてください。Cが生まれた場合、灯が受け取った十五パーセントとは別に、新たな十五パーセントが与えられるのではなく、今ある十五パーセントを二人で分けるのですね」
私が尋ねると、芙美は、冬真の署名が入った信託付属書を机へ置き、指先で該当箇所を示した。病室の窓から入る午後の光は紙面の白さばかりを目立たせ、そこへ並んだ文言が、娘たちの人生ではなく、土地の持ち分か預金の分配を定めているように見えた。
「はい。Aだけが出生した状態では、十五パーセントの受益権はAへ帰属
第83話 凍結胚を作らせた父は、私を救うために他人の子を作っていました 父の名が表示された封印記録は、独立代理人が選任されるまで開けなかった。 待たされたのは三日間だけだったが、その三日は、これまで経験したどの三日とも時間の流れ方が違っていた。灯の呼吸状態は安定し、心拍の乱れも一度あっただけで、外部ペーシング装置が作動することはなかった。喜ぶべき経過なのに、保育器の前に座っていると、あの子の小さな身体の中にあるものまで、父や冬真さんがずっと以前から計算していたのではないかという疑いが湧いてくる。「おじいちゃんが始めたことらしいよ」 保育器の窓から手を入れ、灯の掌へ人差し指を触れさせると、頼りない力で握り返された。娘に話して聞かせるには、あまりにも夢のない家族の昔話だった。「でも、お母さんにもまだよく分からないの。分からないことを分かったふりで教えると、うちではろくなことにならないみたいだから、あなたにはちゃんと調べてから話すね」「新生児に話す内容としては、かなり堅いな」 背後から聞こえた朔也の声に振り向くと、彼は看護師の確認を受けながら、貸し出し用のガウンを着ていた。電子資格の利用停止は解除されていないため、今日も職員の立ち会いがなければ灯のそばへ来られない。それでも、最初の頃のように苛立ちを態度へ出すことはなくなり、本人確認を一つずつ受け入れている。「赤ちゃんだから何も分からないと思って、都合のいいことだけ話す大人にはなりたくないの」「分からないなら、せめて楽しい話をしてやれ。昨日、俺がおむつを替えたら、看護師に前後が逆だと指摘されたこととか」「それは灯より、将来のあなたのために記録しておいたほうがいいわね。育児に協力したと言い張ったときの反証資料になるから」「すでに看護記録へ残されているかもしれない。今日の担当者は笑いを堪えるのが下手だった」 朔也が保育器の反対側へ回ると、灯は私の指を握ったまま、そちらへ顔を動かそうとした。声を聞き分けているのか、偶然なのかは分からない。それでも朔也は嬉しそうに目元を緩め、周囲に人がいることを思い出したように、すぐ真面目な顔へ戻った。
第82話 知らない胚を移植される日、私は説明を求めて病院を出ていました 私の身体に、私の知らない胚を迎える準備が施されていた。 その事実を知った翌朝、私は篠崎先生の診察室で、腹部に塗られた冷たいジェルの感触に耐えながら、天井の小さな染みを見つめていた。出産後の身体はまだ自分のものに戻りきっておらず、検査台に横たわっているだけで、使いすぎた道具の点検を受けているような気持ちになる。けれど、本当に恐ろしかったのは傷や痛みではなく、私自身の記憶よりも詳しく私の身体を知っている記録が、どこかに残っていることだった。 篠崎先生は機器の画面を確かめたあと、私の腹に当てていた器具を静かに離した。「現在の所見だけで、当時どこまで投薬を受けたのか、胚移植の直前まで進んでいたのかを断定することはできません。処方記録にあるのは、子宮内膜を整えるためのホルモン剤と、免疫反応を抑える目的だったと思われる薬、それに血液を固まりにくくする薬です。ただし、後ろの二つについては一般的な不妊治療の範囲を超える組み合わせで、AUR側の試験計画が混じっていた可能性があります」「可能性、ということは、薬を飲んだ記録だけでは、Cを移植されたかどうかは分からないんですね」「分かりません。少なくとも、Cの核遺伝情報を持つ妊娠が成立したという記録は、いま確認できている範囲にはありません。現在の身体を調べても、過去に短期間だけ移植を受けたかどうかまで遡って証明するのは困難です。ですから、今日の検査で何も見つからなかったことを、何もされなかった証拠だと思わないでください。同時に、最悪のことが起きていた証拠もない。そこは分けて考えましょう」 安心させるために曖昧な言葉を選ばず、分からないものは分からないと告げてくれる先生の話し方はありがたかった。それでも私は、渡されたタオルで腹を拭きながら、処方薬の一覧から目を離せなかった。そこには私の旧姓と、当時の患者番号と、朝夕の服用量が几帳面に並んでいる。「この薬、覚えています」 診察室の壁際に立っていた朔也が、わずかに身体を起こした。彼は診察のあいだ、私が頼むまで近づかず、だからといって遠くへも行かず、白衣を掛けるフックの隣という妙
第81話 娘を救うための胚を調べたら、移植先には私の名前がありました 退院した翌朝、私は目覚ましが鳴る一時間前に起き、灯から緊急連絡が来ていないことを確認してから、病院へ行く支度を始めた。 昨夜は眠れないと思っていたのに、いつの間にか寝台へ横になっており、二時間ほど意識を失ったように眠っていた。目を覚ました瞬間、自分が眠っているあいだに灯の心拍が下がっていたのではないかと胸が冷えたが、家族用画面には、外部ペーシングが短時間作動したあと、自力心拍へ戻っていることと、呼吸状態に変化がないことが記されていた。 私は同じ記録を三度読み、それでも安心できず、病棟へ電話をかけようとした。時計は午前五時を過ぎたばかりであり、緊急ではない確認を繰り返せば、灯だけでなく、ほかの新生児を診ている職員の時間まで使うことになる。それでも、母親なのだから聞く権利があるという考えが浮かび、権利があることと、今使う必要があることの区別がつかなくなった。「電話をかけたいのか」 背後から声をかけられ、振り向くと、朔也が寝室の入口へ立っていた。彼も眠れていなかったらしく、髪は乱れ、昨日の夜に替えたはずのシャツには、寝台へ横になった跡が残っていた。「起こしましたか」「君が四度目の画面更新をしたあたりで起きた」「見ていたのですか」「見ないふりをしていた。ただ、五度目を始めたら止めようと思っていた」「まだ四度です」「回数の問題ではない。連絡がないことも、今は状態が安定しているという情報だ」「電子権限を停止されている人に、画面の確認を減らすよう言われたくありません。あなたは自分で見られないので、諦めているだけでしょう」「そうだ。だから、見られる君が代わりに全部確認してくれれば安心すると思っていたが、君が画面へ張り付くのを見ると、俺まで苦しくなる」「それなら、病院へ電話しますか」「担当者が必要だと判断すれば、夜中でも連絡が来る。今、電話をかけないことへ罪悪感を持つなら、俺と一緒に朝食を食べて、予定どおり面会開始時刻に行こう。灯へ会うまで倒れない準備も、今できる世話の一つ
第80話 生まれたばかりの娘が、別の胚を融かすことへ同意したことにされました 凍結胚Cは、すでに長期保管区画から処置前区画へ移されていたが、融解そのものは始まっていなかった。 真奈が保存施設へ緊急停止を求めた時点で、予定時刻までは四十七分残っており、施設側も、朔也が申請を否定したことを受け、作業担当者を待機させていた。しかし、正式に中止するためには、申請者本人の認証を取り消すだけでなく、Cに関係する権利者の異議か、裁判所の保全命令が必要だという。「私の名前を無断で使った申請なのに、なぜ、俺が取り消すだけでは足りないのですか」 朔也は、真奈がつないだ保存施設の責任者へ、声を荒らげないよう努めながら尋ねた。退院したばかりの部屋には、まだ開けていない灯の寝台と、病院から持ち帰った薬の袋が並んでおり、その生活の途中へ、別の胚を融かすまでの残り時間だけが入り込んでいた。『申請には、久瀬朔也様のD提供者代理資格と、AUR‐011名義の受益者承認が付いています。現行制度上、複数の承認者のうち一人が撤回しても、残る承認の効力を施設だけで否定することはできません』「AUR‐011は、生まれたばかりの娘へ割り当てられた信託番号です。灯は、凍結胚を融かすことへ同意できません」『その点は理解しますが、当施設の登録上、AUR‐011は、久瀬灯様個人だけを指す名称ではなく、A、B、Cを含む継続研究対象の包括番号として残っています。出生後の信託番号と、研究上の包括番号が自動的に統合されており、どちらを優先すべきか、当施設では判断できません』「判断できないなら、動かさないでください。人の身体へ関わる試料を、承認が有効か分からないまま融かすほうがおかしいでしょう」『通常であれば、権利関係に争いが生じた時点で保留します。ただ、今回の申請には、保存期限に関する緊急判定が付いています。融解して生存性を確認しなければ、Cを今後も保存する医学的価値があるか判断できないとされています』「医学的価値がないと判断されたら、廃棄するのですか」『生存性が確認できなかった場合は、廃棄候補になります。ただし、法的な権利者の同意なく直ちに廃棄する
第79話 娘を病院へ残して退院した日、夫の名前で別の胚が動かされました 朔也の日常監護補助者用端末は、陳述書の流出が判明した日のうちに警察へ提出され、病院は、彼に付与していた電子閲覧権限を一時的に停止した。 停止されたのは、灯の心拍や呼吸状態を家族用画面から確認する権限、医師から送られる説明記録を読む権限、夜間の緊急連絡を受ける権限であり、新生児集中治療室へ入る資格まで直ちに失ったわけではなかった。それでも、端末から灯の名前が消えた画面を見た朔也は、何も言わず電源を切り、自分の鞄へしまおうとしてから、もう自分の物として持っていてはいけないと気づいたように、警察官へ差し出した。「俺が漏らしていないと証明されるまで、面会も控えたほうがいいのか」「現在確認されているのは電子情報の流出ですから、院内で職員が付き添う面会まで禁止する理由はありません。ただ、旧取締役側から、調査が終わるまで日常監護補助者の指定自体を停止するよう申立てが出ています」と芙美が答えた。「早いですね。記事が出たばかりなのに、もう申立書まで作ったのですか」「情報流出を知ってから準備したのではなく、朔也さんの認証情報が使われることを、先に知っていた可能性も考えるべきです。ただし、今の段階では推測にすぎません」 私は、朔也の端末が入れられた証拠袋を見ながら、昨夜から何度も言いかけていたことを、ようやく口にした。「あなたが、自分で陳述書を流した可能性はありませんか」 芙美も警察官も、私たちへ顔を向けた。疑っているなら二人だけのときに聞くべきだったのかもしれないが、あとで、妻だから庇ったと受け取られることも、夫婦の信頼を見せるため、証拠のない無実を口にすることもしたくなかった。 朔也は怒らず、私の質問から逃げることもしなかった。「流していない。ただ、信じてほしいとは言えない。俺は以前なら、世論を味方にするため、患者家族の言葉を使うことも考えたと思うし、君を守れるなら、公益性があると自分へ言い聞かせて実行したかもしれない」「今は、していないのですね」「していない。倉橋さんの母親から、息子を成功例にしないで
第78話 娘の株を守るため、手術直後の患者へ証言を頼めと言われました 灯の十五パーセントを患者へ渡すべきだという記事が広がってから一時間もたたないうちに、病院の代表電話だけでなく、産科病棟の受付や新生児集中治療室の家族専用回線にまで取材の電話が入るようになった。 病院側は、患者の安全と治療環境を守るため、私と灯に関する問い合わせへ一切答えないと発表し、入館証の確認も厳しくした。しかし、病院が何も話さないことさえ、「久瀬家から口止めされているのではないか」という記事に変わり、正面玄関へ集まった記者たちは、見舞客や退院する親子へまで声をかけ始めていた。 私の病室の窓から玄関前は見えなかったが、取材車のアンテナだけが、隣の建物の屋根越しに何本も突き出ていた。灯が自力で呼吸を続け、手術を終えた倉橋さんが集中治療室で生きようとしている同じ日の景色としては、あまりに騒がしく、誰かの命より、それをどういう物語にすれば多く読まれるかを競っているように見えた。「明日の退院時刻は公開しません。地下の職員用通路から車へ乗れるよう病院側と調整しますが、病棟内に紛れ込まれる可能性もありますから、澪さんと朔也さんは、許可のない訪問者へ対応しないでください」 警備責任者の説明を受けながら、私は、退院のために畳み始めた衣類をベッドの上へ置いた。家へ帰る支度をしているはずなのに、手に取るものは全て、灯を残して自分だけ出ていくための荷物に思え、着替え一枚を鞄へ入れるにも、娘へ言い訳をしているような気持ちになった。「記者から聞かれても答えないことはできますが、灯の財産を守る理由まで隠せば、私たちが十五パーセントを自分たちのために抱え込んでいるという話だけが残りませんか」「話すとしても、院内ではなく、代理人を通してください。記者会見を開く場合も、澪さんの退院後に、安全を確保した場所で行うべきです」「会見はしない」と朔也が答えた。「記事を一つ訂正するために灯の病状を公表すれば、次からも、世論が騒ぐたび、娘の身体について説明を求められる。株を守るために、治療記録を代金として払うつもりはない」「何も話さなければ、あなたが都合の悪いことを隠していると書かれますよ」







